聖書セミナー2024年5月18日(土)開催
オンライン聖書―回復訳─注解検索結果オンライン聖書―回復訳─注解検索結果

[1ページ目] [1 2 3 4 5 6 7 8 9 10] [後10ページ] [最後のページ] 10/981ページ 計9804

出典

フットノート

マタイ 3:17 注1 聖霊が下って来ることはキリストの油塗りであり、御父の語りかけは愛する子であるキリストへの証しでした。ここに神聖な三一の絵があります。御子は水から上がりました。その霊は御子の上に下りました。御父は御子について語られました。これは父、子、霊が同時に存在することを証明します。これは神のエコノミー達成のためです。
マタイ 4:1 注1 人としてのイエスは、水の中にバプテスマされ、神の霊で油塗られた後、その霊の導きにしたがって行動されました。これは、人性におけるイエスの王の務めが、その霊にしたがって行なわれたことを示します。
マタイ 4:1 注3 ギリシャ語は、「訴える者」、「そしる者」を意味します(啓12:9―10)。悪魔、すなわちサタンは、神の御前でわたしたちを訴え、人々の前でわたしたちをそしります。
マタイ 4:1 注2 まずその霊は、悪魔に試みられるために、油塗られた王を導かれました。この試みは、彼が天の王国の王となる資格があることを証明するためのテストでした。
マタイ 4:2 注1 四十日四十夜は、テストと苦難の期間です(申9:918列王上19:8)。新しく油塗られた王は、その霊に導かれ、この一定の期間、断食されました。それは、彼がその王の務めに入るためでした。
マタイ 4:3 注1 「試みる者」は悪魔です(1節Iテサロニケ3:5)。
マタイ 4:3 注2 新しく油塗られた王は、彼の人性の中で、人の立場に立って断食されました。もう一方で、父なる神がバプテスマの時に宣言されたように(3:17)、彼は神の子でもありました。彼が天の王国のために務めを達成するには、神の敵、悪魔、サタンを打ち破らなければなりません。これを行なうのは、人でなければなりません。ですから、彼は神の敵に対決する時、人として立たれたのです。悪魔はこのことを知っていたので彼を誘惑し、人の立場を離れて神の子の立場を取らせようとしました。四十日前、父なる神は、彼が父の愛する子であることを天から宣言されました。試みる者はこうかつで、父なる神の宣言を根拠として、彼を試みようとしました。もし彼が敵の前で神の子としての立場を取ったとしたら、敵を打ち破る立場を失ったことでしょう(参照、4節のノート2)。
マタイ 4:3 注3 石をパンにすることは、確かに奇跡となったでしょう。これは悪魔が提案した試みです。多くの時、ある状況の下で奇跡が行なわれることを考えるのは、悪魔からの誘惑です。最初の人、アダムへの悪魔の試みは、食べることに関してでした(創3:1―6)。第二の人、キリストへの試みも、食べることに関してでした。食べることは、人をわなにかけるために常に悪魔によって用いられ、人を個人的な方法で誘惑します。
マタイ 4:4 注2 試みる者は、新しい王に神の子としての立場を取らせようと彼を試みました。しかし彼は聖書の言葉を使い、「人は・・・・」と答えられました。これは、彼が人の立場に立って、敵を取り扱われたことを示しています。悪鬼どもはイエスを神の子と呼びましたが(8:29)、邪悪な霊どもは、イエスが肉体の中で来られたことを告白しません(Iヨハネ4:3)。なぜなら、イエスを人と告白すれば、彼らは自分たちが打ち破られていることを認めることになるからです。悪鬼どもはイエスを神の子と告白しますが、悪魔は人々が彼を神の子であるのを信じることを許そうとしません。なぜなら、人はそう信じることによって、救われるからです(ヨハネ20:31)。
マタイ 4:4 注3 この言葉は、主イエスが聖書の神の言葉を彼のパンとして取り、それによって生きておられたことを示します。
[1ページ目] [1 2 3 4 5 6 7 8 9 10] [後10ページ] [最後のページ] 10/981ページ 計9804

オンライン聖書―回復訳-注解検索結果