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出典

フットノート

マタイ 3:3 注1 バプテスマのヨハネが荒野で務めを開始したのは、予言されたことでした。バプテスマのヨハネによる神の新約エコノミーの導入は、偶然の事ではなく、神によって計画され、預言者イザヤを通して予言されていたことでした。これは、神が新約エコノミーを、絶対的に新しい方法で開始するのを意図されたことを暗示しています。
マタイ 3:3 注2 道は大通りのようなもの、道筋は小道のようなもので、わたしたちの心とその各部分を描写しています。わたしたちの全存在と心全体をもって主に悔い改めること、主に入ってくる余地を与えることが、主の道を備えることです。そして主に心の各部分をさらに占有していただく、すなわち思い、意志、感情を含む部分を主に占有していただくことが、主の道筋を真っすぐにすることです。ですから、主の道を備えることと彼の道筋を真っすぐにすることは、わたしたちの思いを変えることであり、わたしたちの思いを主に向けて心を正しくすることであり、悔い改めを通して、心のあらゆる部分である心の通路が、天の王国のために主によって真っすぐにされることです(ルカ1:16―17)。
マタイ 3:3 注2 道は大通りのようなもの、道筋は小道のようなもので、わたしたちの心とその各部分を描写しています。わたしたちの全存在と心全体をもって主に悔い改めること、主に入ってくる余地を与えることが、主の道を備えることです。そして主に心の各部分をさらに占有していただく、すなわち思い、意志、感情を含む部分を主に占有していただくことが、主の道筋を真っすぐにすることです。ですから、主の道を備えることと彼の道筋を真っすぐにすることは、わたしたちの思いを変えることであり、わたしたちの思いを主に向けて心を正しくすることであり、悔い改めを通して、心のあらゆる部分である心の通路が、天の王国のために主によって真っすぐにされることです(ルカ1:16―17)。
マタイ 3:4 注1 ヨハネは生まれながらの祭司でした(ルカ1:513)。律法の規定によれば、彼は祭司服を着るべきでした。これはおもに亜麻布で作られていました(出28:440―41レビ6:10エゼキエル44:17―18)。彼はまた祭司の食物を食べるべきでした。これはおもに、民が神にささげた麦粉といけにえの肉から成っていました(レビ2:1―36:16―1825―267:31―34)。ところが、ヨハネは全く違ったことを行ないました。彼はらくだの毛衣を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食物としていました。これらはすべて非文明的、非文化的であって、宗教的規定に反することでした。祭司がらくだの毛衣を着ることは、宗教的な人の頭には特に大きな衝撃でした。なぜなら、らくだはレビ記の規定によれば、汚れていると考えられていたからです(レビ11:4)。さらに、ヨハネは文化的な場所に住まないで、荒野に住んでいました(ルカ3:2)。これはすべて、彼が旧約の経綸を全く放棄してしまったことを示します。その経綸は、人類文化と混合した一種の宗教に堕落していました。彼の意図は、キリストと命の霊だけから成っている神の新約エコノミーを導入することでした。
マタイ 3:4 注1 ヨハネは生まれながらの祭司でした(ルカ1:513)。律法の規定によれば、彼は祭司服を着るべきでした。これはおもに亜麻布で作られていました(出28:440―41レビ6:10エゼキエル44:17―18)。彼はまた祭司の食物を食べるべきでした。これはおもに、民が神にささげた麦粉といけにえの肉から成っていました(レビ2:1―36:16―1825―267:31―34)。ところが、ヨハネは全く違ったことを行ないました。彼はらくだの毛衣を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食物としていました。これらはすべて非文明的、非文化的であって、宗教的規定に反することでした。祭司がらくだの毛衣を着ることは、宗教的な人の頭には特に大きな衝撃でした。なぜなら、らくだはレビ記の規定によれば、汚れていると考えられていたからです(レビ11:4)。さらに、ヨハネは文化的な場所に住まないで、荒野に住んでいました(ルカ3:2)。これはすべて、彼が旧約の経綸を全く放棄してしまったことを示します。その経綸は、人類文化と混合した一種の宗教に堕落していました。彼の意図は、キリストと命の霊だけから成っている神の新約エコノミーを導入することでした。
マタイ 3:6 注3 原文は、複数。
マタイ 3:6 注2 ヨルダン川の中に、イスラエルの十二部族を代表する十二の石が葬られました。そしてそこから、イスラエルの十二部族を代表する別の十二の石が復活させられ、取り上げられました(ヨシュア4:1―18)。ですから、人人をヨルダン川の中にバプテスマすることは、彼らの古い存在が葬られること、新しい存在が復活させられることを意味しました。イスラエルの子たちは、ヨルダン川を渡ることによって良き地に導き入れられました。それと同じように、バプテスマは、人々を良き地の実際であるキリストの中にもたらします。
マタイ 3:6 注1 人々をバプテスマするとは、死を象徴する水の中に人々を浸し、その中に葬ることです。バプテスマのヨハネがこれを行なったのは、悔い改める者には、葬られる以外に何の用途もないことを示すためでした。またバプテスマは、古い人が終わらせられ、命を与えるキリストがもたらす復活の中で、新しい開始が実現されることを象徴します。ですから、ヨハネの務めに続いて、キリストが来られたのです。ヨハネのバプテスマは、悔い改めた人を終わらせただけでなく、彼らをキリストへ導いて、彼らに命を得させました。聖書の中のバプテスマは、死と復活を暗示しています。水の中にバプテスマされるとは、死の中に葬られることです。水から上げられることは、死から復活させられることを意味します。
マタイ 3:7 注1 パリサイ人は、ユダヤ人の中の最も厳格な派です(使徒26:5)。この派は紀元前200年ごろ形成され、他の人々にまさった宗教的な生活、神に対する信心深さ、聖書に関する知識を誇りとしていました。しかし実際は、堕落して見せかけと偽善ばかりになっていました(23:2―33)。
マタイ 3:7 注2 サドカイ人は、ユダヤ教の別の派でした(使徒5:17)。彼らは復活も、御使いも、霊も信じません(22:23使徒23:8)。パリサイ人とサドカイ人はいずれも、バプテスマのヨハネと主イエスによって、まむしの子らと非難されました(7節12:3423:33)。主イエスは、彼らの教えに注意するよう弟子たちに警告されました(16:612)。パリサイ人はユダヤ教の正統派と考えられていました。サドカイ人は当時の近代主義者でした。
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