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出典

フットノート

マタイ 1:11 注1 この系図は、「ヨシヤは・・・・エコニヤ・・・・を生んだ」と記録しています。しかし歴代志上第3章15節から16節は、「ヨシヤの子らは・・・・次はエホヤキム・・・・エホヤキムの子孫はその子はエコニヤ」と言っています。一世代、すなわちエホヤキムがキリストの系図から省かれています。これは、彼がエジプトの王パロによって王とされ、パロのために税金を取り立てたからであるに違いありません(列王下23:34―35)。
マタイ 1:11 注4 イスラエルの子たちがバビロンへ捕囚として連れ去られたことを言っています。17節でも同じです。
マタイ 1:11 注2 エコニヤは、この系図では王として勘定されていません。なぜなら、彼は捕囚の期間に生まれ、捕虜であったからです(歴代下36:9―10―エホヤキンはエコニヤです)。エレミヤ書第22章28節から30節の預言は、エコニヤの子孫はだれも、ダビデの位を継ぐことはないと言っています。もしキリストがエコニヤの直系の子孫であったとしたら、彼にダビデの王座を継ぐ資格はなかったでしょう。エレミヤ書第22章28節から30節は、エコニヤの子孫はすべてダビデの王位から除外されると言っていますが、エレミヤ書第23章5節では、神はダビデに一つの若枝、王となって治め、栄える者を起こすと言っています。この若枝はキリストです。この預言は、キリストはエコニヤの直系の子孫ではないとはいえ、やはりダビデの子孫であって、ダビデの王位を継ぐことを確証します。
マタイ 1:11 注3 この系図には、王の兄弟たちについての記述は全くありません。しかしながら、ここでエコニヤの兄弟たちが述べられています。これは、このキリストの系図では、エコニヤが王として認められていなかったことを証明します。
マタイ 1:12 注1 捕囚としてバビロンへ連れ去られた者たちでさえ、キリストの系図のこの神聖な記録に含まれています。彼らの子孫の一人が、イエスの母であるマリヤと結婚したことを通して、彼らはキリストと間接的な関係を持ったのです。
マタイ 1:12 注2 「エコニヤはサラテルを生み、サラテルはゾロバベルを生み」。この記録を歴代志上第3章17節から19節の、「エコニヤの子らは・・・・シャルテル・・・・ペダヤ・・・・ペダヤの子らはゼルバベル(すなわち、ゾロバベル)」と言っているのと比較してください。それは、ゾロバベルがサラテルの兄弟ペダヤの子であったことを示します。ゾロバベルはサラテルの子ではなく、おいでした。このおいが、サラテルの相続人となりました。これはおそらく、申命記第25章5節から6節で書かれていることにしたがった事例でしょう。申命記のその言葉でさえ、キリストの系図と関係があるのです。
 ゾロバベルは、バビロンの捕囚からエルサレムに帰還した指導者の一人でした(エズラ5:1―2)。彼はまた、神の宮の再建における指導者でもありました(ゼカリヤ4:7―10)。旧約聖書は、キリストがダビデの子孫としてベツレヘムに生まれると予言しました(ミカ5:2マタイ2:4―6)。捕囚からの帰還がなくては、キリストがベツレヘムで生まれることは不可能でした。神が捕囚からの帰還を命じられたのは、神の宮の再建のためだけでなく、キリストがベツレヘムで生まれるのを準備するためでもあったのです。キリストの最初の来臨のためには、一群れの人々が正しい場所にいて、彼を地にもたらす必要がありました。同じように、キリストの再来のためには、捕囚にある彼の民の群れが、正当な召会生活に戻って来る必要があります。
マタイ 1:16 注1 ここの系図は、「ヤコブは・・・・ヨセフを生んだ」と言っていますが、ルカによる福音書第3章23節は、「ヨセフはヘリの子」と言っています。ルカの記録は、「律法によれば」(ルカ3:23の「人の見方によれば」の文字どおりの訳)でした。これは、ヨセフは実際にはヘリの子ではなかったのですが、律法にしたがって彼の子とされたことを示しています。ヨセフはマリヤの父ヘリの婿でした。おそらく、民数記第27章1節から8節と第36章1節から12節の言葉にしたがって、そのようにされたのでしょう。神はこの二箇所で、もし両親に後継ぎとして娘しかいない時、嗣業は娘に与えるべきであることを定められました。そして娘は嗣業を部族内に保つために、自分の部族の男子に嫁がなければなりませんでした。旧約のこのような規定でさえ、キリストの系図と関係があります。これは、聖書全体がキリストに関する記録であることを示しています。
マタイ 1:16 注3 この系図が最初に述べた四人の女は、再婚した者、もしくは罪深い者でした。この四人に加えて、ここでは一人の清純な処女を述べています。これは、キリストが聖別の中で生まれたのを除いて、この系図の中に述べられた人たちが、すべて罪の中に生まれたことを示します。
 アブラハム、ダビデ、マリヤの三人は、キリストを生み出すための極めて重要な人物でした。アブラハムは信仰による生活を代表します。ダビデは十字架の取り扱いの下での生活を代表します。マリヤは主に絶対的に服従した生活を代表します。キリストは、これら三種類の生活を通して、人性の中へもたらされました。
マタイ 1:16 注2 この時点で、この系図の記録は、それまでに出たすべての人物について述べているように、「ヨセフはイエスを生んだ」とは言っていません。それは、「マリヤの夫ヨセフ・・・・このマリヤから・・・・イエスが生まれた」と言っています。イエスはマリヤから生まれたのであって、ヨセフからではありません。なぜなら、キリストは女の子孫であり、また処女から生まれると予言されていたからです(創3:15イザヤ7:14)。キリストはヨセフから生まれることはあり得ませんでした。なぜなら、ヨセフは男であり、 エコニヤの子孫であって、エコニヤの子孫はだれも、ダビデの王位を継ぐことができなかったからです(エレミヤ22:28―30)。しかしながら、マリヤは処女であり、ダビデの子孫でした(ルカ1:2731―32)。ですから、マリヤはキリストを産むのに適切な人物でした。ヨセフはマリヤと結婚したことによって、キリストとの関係を持ちました。そして前のページの 図表に示されているように、キリストをもたらすためのキリストの系図の二つの路線を、一つに結合しました。
 この図表は、神から始まり、イエスに到達するまで継続するイエス・キリストの系図です。それは神からアダムに進み、アダムからアブラハムに、アブラハムからイサク、ヤコブを経て、ダビデに至ります。ダビデの後、それは二つに分かれます。第一の路線はナタンからマリヤに至り、第二の路線はソロモンからヨセフに至ります。最終的に、これら二つの路線は、ヨセフとマリヤの結婚によって一つに結合され、イエス・キリストをもたらします。このように、キリストは一見してエコニヤの子孫のように見え、エコニヤは王族の一人のように見えました。実際は、キリストはヨセフの先祖であるエコニヤの子孫ではなく、マリヤの先祖であるダビデの子孫でした。ですから、彼にはダビデの王位を継ぐ資格があるのです。
マタイ 1:16 注4 ここで、「キリスト」が強調されているのは、イエスこそ旧約聖書の中で予言されていたメシヤ(キリスト)であることを証明するためです。
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